先日から問い合わせの多かった商品オンラインショップへの商品追加を致しました。
思い切ってかなり多くの商品を供給させていただいております。
今まで商品の価格帯は¥8424(税込み)のワンプライスのみでしたが。
商品増強で、¥8,424——-¥10,800——-¥14,040の3プライス展開を始めます。
SHAKUNONEに従来からあった商品は今まで通りですが、
¥10,800の商品は、従来より生地を多く使用し、芯材もウール起毛芯を使用している為、柔らかで肉厚な質感に仕上がっています。
¥14,040の商品は、特別仕様の「emon仕様」を採用した商品になっています。
随時追加や変更もさせていただきます。
価格は3種類用意させていただいておりますが、お仕立てしている気持ちはどれも変わりませんし、どの商品も自信のネクタイです。是非お気に入りのネクタイがあればお選びいただき、素敵な共演者としてアナタのスタイルに華を添えさせてください。
また、展開店舗が増えます!!
岡山県内追加店舗
・天満屋ハピータウン玉野店1階
玉野市宇野1-3-8 0863-33-1010
香川県初進出!!
・丸亀町グリーン 天満屋ジョリーメゾンプリュス
香川県高松市丸亀町7-16 西館3階 087-802-5400
今までメディアの影響もありましたが、香川県からのお問い合わせも非常に多かったのにも関わらず、販売店舗が無かったため手に取っていただく機会が少なかったのですが、この機会に是非お手に取っていただければと思います。
ネクタイを作っているのであれば、シャツやスーツ、ベルトや靴といった商品との連携は必須だろう。
と、自分でも把握している。
〔縫製〕と、ひとくくりに考えても、作るアイテムが変われば全くステージが変わる。
ノウハウも違えば、取引先も変わるし、大きな垣根もある。
特に、工場や一職人となれば、横の繋がりなんてほとんどありません。
同じ思いやテイストを持っていても、畑が違えば交わることもない。
そんな感じなんです。
メンズファッションで地鳥の男性を格好良く演出する思いは一緒のはずなのに、単体でバラバラに動いている。
会社も所属も違えば当たり前なのかもしれませんが、そんな当たり前は壊してもいいようにも思っています。
もっともっとできる。
チームを作れば、もっと飛躍できる力があるんじゃないでしょうか?
一人の力は小さくても、同じ思いを共有して発信して、
同じ目的を持って動ける共演者を作ることができれば、もっと力を発揮することができるんではなでしょうか。
私の夢モノガタリ。
店頭で目にすることのある、「売れています!」というポップ。
もし、このポップが「売っています!」だと捉え方としては皆さんどうでしょう?
感覚的な部分かもしれませんが、同じ商品が並んでいるて、打ち出し方で選びなさいと言われるなら、
私は「売れています!」という方を選びます。※あくまで商品によりけりだということは前提ですが。
過去のブログで紹介したことがあるかもしれませんが、以前、こう質問されたことがあります。
「伝える」ことと「伝わる」ことの違いは何なんだ??
その時は、「伝える」→自己発信 「伝わる」→結果
そんな風に答えた記憶があります。
これ自体は間違いではないらしいのですが、その方曰く、
「伝える」→《行為》
「伝わる」→《現象》
だそうなのです。
それを聞いてからは、以前にも増して、言葉の違いに大きな差があるのだと意識しています。
そんな中で、3月中に行われた仕事では店頭に立つ機会は非常に多くいただきました。
それまでの販売会では、どうしても「伝える」という意識が色濃く出ていました。
商品のが良いということは前提で、+αを伝えていくことがお客様にとっていいことなんだと思い込んでいた部分もあったように思います。
しかし、少し立ち止まって考えてみました。
「伝える」という《行為》が必ずしもお客様にとって喜んでいただく方法なのではなく、
「伝わる」という《現象》がお客様にっと手の最良なのではないかと考えるようになりました。
そこで、3月以降の販売では、「伝える」という意識から「伝わる」という意識に少しシフトをさせました。
この辺りは感覚の問題かもしれませんが、今まで接していた対応とは明らかに変わったような感覚を抱きました。
これは言い換えれば、
「売っている」→《行為》
「売れている」→《現象》
とならないでしょうか?
現象に対して興味や共感が湧くのではないでしょうか?
売る、伝える、という意識の比率が大きいと、どうしても一方通行になってしまいます。
どうしても、作り手に近ければ近いほど、良いものは売れる、良さをどんどん伝える。
という意識で、1~10まで、全部を知ってもらおうと話す傾向があるかと思います。
一方通行の行為ですよね。
結構最近まで自分もそうでした。
「伝える」意識が0にすることではなく、「伝わる」の意識を持って、お客様と「共演者」になるような意識を持ってお伝えすることが現象を生むのではないかと考えています。
根幹にある商品の魅力を最大限に引き立てることが、最大の+α。
いい意味での客観視というのは、必須項目ではないかと思います。
昨年リリースさせていただいたSHAKUNONEオリジナルシリーズに3種類の新色が登場しました。
と言っても、生地が今日の午後仕上がって到着した感じです。
上から①赤橙、②天色、③本紫
一番上の赤橙に関してだけ言えば、なぜかカメラで色が綺麗に出ません。
カメラで認識して色の表現をしにくい彩のようです。
また改めて綺麗に撮りなおします。
3月~4月にかけての展開で一番人気のあった柄が嬉しいことにSHAKUNONEオリジナルでした。
昨年行ったクラウドファンディングで皆様に応援していただいた商品が一番人気になったことは、非常に嬉しく思います。
出している柄は、SHAKUNONEのロゴマークなのですが、皆さんなかなか気づいていただけません。
ですが、それくらいの入り方を意識して製作しましたのでそれもまた嬉しいです。
たいそうなタイトルではありますが、そんな内容ではありません。
私は、映画やドラマや漫画を見て泣くか泣かないかがはっきりしています。
スポーツ友情感動系→泣く
恋愛系、愛情系→泣かない
感動はもちろんどちらもする感受性の豊かなタイプだと自負していますが、比較的上記のようなタイプです。
育ってきた環境がそうだったからなのかもしれませんが、やたらともろい部分とドライな部分があります。
しかしながら、先日レンタルビデオで見た【君の膵臓をたべたい】を観て、涙が出ました。
久々にズキュンときた映画だったと思います。
映画の評論や感想、ネタバレブログではないので、内容は控えますが、
一言でいえば、〔人の命は儚いし、何がどうなるかわからない〕ということだと感じたのです。
結構ドラマや映画はこういったことが描かれることが多いかと思いますが、この作品には感動しました。
興味のある方はご覧ください。
もし、自分が死ぬ瞬間が来た時に、何を考えるのだろうかと考えました。
ああ、もっと楽して生きていたら良かったな。 と考えるでしょうか。
それとも、
ああ、もっとこうしておけば良かったな。 と考えるでしょうか。
もしくは、
我が人生に一片の悔いなし!!! となるでしょうか。
どれもわかりません。
ですが、今生きている。今なら、もっとこうしておけばと、多少の後悔の念を残して死ぬと思います。
悔いなく生きるとか、たぶんできないと思います。
絶対何かやり残したり、想いがあったりするもんだと思います。
仕事面でも、プライベートでも何かしらあります。
それを少しでも無くしていくのが人生じゃないでしょうか。
その為にも、生きてるうちにカッコよくありたいと思うのです。
そのお手伝いや提案をするというミッションも我々にはあるのではないかと思っています。
仕事を通して、自身がカッコよくあり、カッコよくなっていただけるネクタイを提供したい。
生きてる時間は限られている。
他の人が出来ることならやらないけども、自分にしかできないことだと思うからやり続けるのです。