僕の夢は都会のビルの中では叶えられない。
目次
田舎の縫製工場なんてダサいと笑われると思ってた20代。でも・・・
大学に行くことを勧められたけど、美容師になりたくて高校卒業と同時に就職をしました。
専門学校に行くのが最善だったのかもしれなかったけど、お金がありませんでした。
だけど、国家資格を取らないと「美容師」としては働けないから、働きながら通信で専門学校に通って、国家資格を取りました。
『1回でも落ちたらそれまで』くらいの覚悟で挑んでいたので、一発で通ったのは当然と言えば当然ですが、嬉しかったのを今でも覚えています。
そんな時に、縫製工場の社長である母親が体調不良になり、検査の結果『手術』となりました。
家業は継がないと決めていた私でしたが、移管限定で繁忙期の家業を手伝うことになり、本業の勤務時間外は実家の縫製工場にいることになりました。
そこで見たモノ、感じたコト、知った「今」
田舎の縫製工場のアトツギを決めた経緯と、覚悟、想いを書き綴っていきたいと思います。
・田舎の縫製工場は「ダサい」と思っていた
私たちの縫製工場がある岡山県津山市は岡山県北の中心地とも言われますが、決して都会ではありません。
端に行けば行くほど田園風景が見える田舎で、私たちの会社はそんな中にあります。
私は幼少期から、「家業は継がない」と決めていました。
なぜなら、「縫製業はダサい」と思っていたから。
表舞台に立つわけでもなく、納期に追われて朝から晩まで働き詰め。
子供と一緒にご飯を食べる時間すら作れない。
それだけ忙しくしているのにも関わらず、貧乏。
「華がない」「儲からない」「若者の仕事じゃない」と思っていた私の選択肢には当然家業を継ぐという選択肢はありませんでした。
・自分の原体験はここにある
当時は「やむを得ず」といった気持ちで始めたことでした。
正直、嫌々だったと思います。
しかし、家業の縫製工場でを手伝うようになって、少しずつ過去の記憶が蘇ってきました。
幼少期から子守歌のように聞いてきたミシンの音。
段ボールの中で寝ていた日中。
必死に働いていた祖母や母の姿。
大人になって「働いてお金を稼ぐ」ということを知り感じたそれが、自分の血肉になっているいるということを再確認した瞬間、「絶対に家業は継がない」と決めていた自分の心を動かすほどのモノでした。
誰にも知られていないけど、誰もが知っているブランドや大手メーカーの商品を作っている工場。
祖母が立ち上げ、母が守り育ててきたこの会社を未来に繋いでいくことができるのは自分しかいないと感じたコトが人生を大きく変えることになりました。
・お金がない
もちろん、大企業のような利益を出せているわけではないことはわかっていましたが、それにしてもお金がない。
人件費や社会保険料、水道光熱費や借入金の返済がやっと。
「やっと」ならまだいい方で、ほぼ毎月の月末は「お金が足りない」と頭を抱える日々。
給料を払うために、借入金を返済するために借金。
こんな状態では、設備はもちろん、未来への投資なんてできるはずもありません。
「お金が無くてもできることはある」というのは確かにそうだと思います。
しかし、お金が無ければできることは極端に限られるというのも事実。
日々の経営に精一杯で、未来を考える余裕も考える時間もなかったというのが現状だったことには衝撃を受けました。
・下請けの現状
家業の縫製工場は、いわゆる「下請け工場」です。
確かな技術に裏付けされた品質や納期に関しては折紙付き。
ですが現状は、受注依存体質になっていて、自分たちで価値を生み出すことはできず、提案や要望も出せず、たとえ赤字になるような単価でも、どんなに無茶な納期にでも対応をしなければならない状況でした。
大儲けして、高級車を乗り回したり、ビルが建つような会社になればいいとは思っていませんが、最低でもスタッフのみんなや自分たちが「やりがい」を感じられて、健全な生活が送れるレベルでの仕事ができなければ意味がありません。
そんな「あたり前」すら難しい状況で、絶望と同時に、「変わらなければ死ぬ」という危機感にも似た使命感をもつようになりました。
・都会に憧れた。田舎の劣等感
とはいえ、田舎の小さな下請け縫製工場。
誰にも知られていないし、都会だったらいろんなことができるだろうけど、こんな田舎からはどうせ何もできない。
そう思っていました。
高校を卒業して、美容師になると決めたとき、お金がなかったこともそうですが、父がおらず長男で、妹が二人いて、祖母も体が弱い。
せっかくなら上京して修行をしようと悩んでいたけど、別に誰にも反対をされていないのに出来ない理由をいろいろ並べて地元に残ったという密かな劣等感。
憧れていたけど勇気が無くて行かなかった都会。
憧れが劣等感生んで、具体的な行動できずにいました。
・自分を変えた言葉
とはいえ、何もやらないのでは何も変わらないことはわかっていて、たくさん本を読んだり、色んな経営者に話を聞きに行ったりと動き回っていました。
そんな中で、同じ地元でUターン企業をされた会社さんが主催するセミナーに参加をさせて頂いた時に自分を変える言葉に出会いました。
そのセミナーはざっくりいうと「地域からの発信」や「地域からの挑戦」にフォーカスを当てたものだったのですが、
話の中で出てきた『1回の成功と99回の失敗』という言葉を聞き、一回の失敗にビビッて、口だけ番長になっていた自分が恥ずかしくなったと同時に、奮い立たされた気持ちになりました。
ありきたりな言葉のように感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、いろんな言葉にであい考えさせられますが「ターニングポイント」となった言葉であることは間違いありません。
・夢のブランドはズタボロ
名産品、特産品なら地域からも生まれる可能性があっても、ファッションとか、ITとか、人の「オシャレ」に関わるモノが生まれることはないと決めつけていた自分に終止符を打ち、思い切って自分たちのブランドを立ち上げました。
それがネクタイブランドSHAKUNONEです。
しかし、夢を語れる武器を手に入れた嬉しさの反面、現実の売り上げはズタボロでした。
初年度の売り上げは、初期経費に対して30%程度。
最初から上手くいくとも思っていませんでしたが、悲惨な状況。
同様に2年目も前年よりは良かったものの、悲惨な状況でした。
それには様々な理由があると思いますが、一番大きかったのは「誰にも知られていなかった」ということだと気づくまでには少し時間がかかりました。
『良いものなら売れる』
確かにそうかもしれませんが、どれだけ良いものでも、自信があっても、知られなければ誰も買いませんし買えません。
おまけに、「販路」も「実績」もなく、それを作る方法すらも知らないようでは、どうしようもありません。
お金があれば何でもできるのに・・・と当時は思っていましたが、おそらくその時にお金があったとしても意味のある使い方や、納得できる
結果が出せていなかっただろうと、今となっては思います。
・当たって砕けろのクラウドファンディング
このころから、さらに勉強をしていきました。
異業種の方との話をする機会を作ってみたり、セミナーに参加してみたり、本を読んだり・・・今まで以上にヒントを探しまくっていました。
その中で出会った一つの方法が『クラウドファンディング』です。
今では活用する方も増えて認知が広がるようになりましたが、その時は周りでやったことがある人も少なく不安しかありませんでしたが、
1回の成功と99回の失敗を念頭に置き、強気の挑戦をすることになりました。
内容としては、『自社ブランドSHAKUNONEのオリジナルデザインネクタイを全国に届けたい』という趣旨で、新商品の開発と認知拡大を目指しました。
文字通り、当たって砕けろの精神で、1カ月で100万円の目標を立てて、期日までに支援が集まらなければプロジェクト不達成のオールorナッシング挑戦。
この時に感じていた2つの恐怖。
①本当に自分たちに共感して支援してくださる方々がいらっしゃるのだろうか。
②下請け工場が表舞台に出ようとする状況を同調圧力でつぶそうとしてくる人がいるのではないだろうか。
結論から言うと、①想定以上の結果に結びつき、②やはりそういった人たちは居たけれど支えてくださる多くの方のおかげで乗り越えられた。というものでした。
・自分たちにはできないと思っていた勘違い
勝手に限界を決めていた自分。
本当は「田舎からはどうせ無理だ」と諦めていた自分。
しかし、クラウドファンディングでは100万円の目標額に対して、120名を超える支援者の方々から、達成率172%である172万円のご支援を頂き、プロジェクト達成となりました。
期間の約半分である17日で目標の100万円を超え、残り期間も支援が止まることはありませんでした。
自分たちの周りには、こんなに共感し応援してくださる方がいるんだという感動が自信になり、自分には無理だと諦めていた自分が恥ずかしくなりました。
2017年に実施したこのプロジェクトは、日本国内のネクタイに関するクラウドファンディングプロジェクトの中で資金調達額が1位となっています。
・挑戦が実を結んだ
この挑戦や、目標に向けて続けていた発信が思わぬ形で成果に繋がりました。
プルル…プルル…ガチャ
私:「はい、笏本縫製です」
相手:「突然のお電話を失礼いたします。ネクタイの縫製をされていて、シャクノネというブランドでクラウドファンディングをされていた会社様で間違いないでしょうか?」
私:「はい、間違いないです」
相手:「申し遅れました。私、〇〇百貨店メンズ館のバイヤーをしております〇〇と申します」
私:「は?」
相手:「御社のプロダクトとブランドストーリーをネットで拝見しました。つきましては、一度伺って商談ができないでしょうか?」
いつかこんなところで取り扱っていただけるようになれば拍が付くよね。と目標にしていた有名百貨店からのピンポイントオファー。
このオファーへの取り組み実績がキッカケになり、様々な店舗からのオファーを頂くようになり、東京、大阪、名古屋など、様々な場所での展開が実現し、シーズンには全国を飛び回ることになりました。
・大手とのコラボで全国に届けることができた。
百貨店とECを中心に販売をしてきたのですが、その実績と価値が注目をされ、業界最大手の企業からのブランドコラボオファーも頂戴することになりました。
誰にも知られていなかったところからのスタートでしたが、多くの人に知っていただき、届けることができるようになりました。
もちろん、これがゴールではありませんが、こうした積み重ねが自信になり、力になったことは事実です。
・できた私たちのミッション
たくさんの失敗と小さな成功を積み重ねていく中で、色んなことを知ることができました。
その中で「自分たちのやっていることにはまだ見えていない意味があるのではないだろうか?」と考えるようになりました。
そこで、家業を継ぐ決断をするとき、決断してからも抱え続けていた劣等感やジレンマである「縫製工場はダサい」というイメージを変え、
もっとやりがいが感じられて、夢を見られて、カッコイイ仕事にすることをミッションとすることにしました。
・カッコイイの正体は?
そもそも、縫製業がカッコ悪いというのは捻くれた劣等感なだけかもしれませんが、現実的に若手の就職はまずありません。
皆さんが「今」服を着ているように、縫製は最も身近にあるものです。
そしてそこには必ず人が関わっています。
そんな仕事が窮屈で不自由であっちゃいけないし、もっと楽しいものであるべきだと思います。
それでも、若手で縫製をやりたいって人は少ないし、昔の自分みたいに縫製工場はダサいと思っている人もいると思うんです。
だからかカッコ良くしたい。
そのカッコイイってのは、誰かや何かと比較するものでなくても、自分たちが誇りに思えて居心地の良い居場所を作ることだと思っているし、そこから魅力的なプロダクトを生み出して発信して、それを認めてくれる人たちに届けられることができるのであれば、それがカッコイイことだと思うんです。
クサイ言い方かもしれませんが、自分が未来に残したい仕事だと感じたように、次の世代に繋げる仕事を自分たちが生み出せるって、すごくかっこいいことだと思うんです。
・「稼ぐ」って悪いことじゃない
夢とか希望とか、青臭いことばかりのように感じるかもしれませんが、それには【お金を稼ぐ】【正当な利益を出す】ってことは不可欠なことだと思っています。
お金持ちになって、高級車を乗り回したいわけでもなければ、贅沢三昧がしたいわけでもありません。
それでも、大なり小なりの【お金】は必要ですし、どんなにキレイごとを言ってみても切っても切れない関係性があります。
意外と、【儲ける】とか【稼ぐ】とか【利益】という単語に対してネガティブイメージを抱かれることもあるし、
それが悪のように捉えられるというか、意地汚いやつみたいに言われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これって当然のことです。
ただ、今までの体質事態が、正当な利益を得ることからそのことから強制的に断絶されているような感覚があります。
今まで書いてきたことを実現させていくためにも、たとえすべてを晒されても恥ずかしくなく、堂々としていられるような仕事をしていきさえすれば良いと考えています。
・誰かに教えられる立場ではないけれど
ここ数年で、色んな人に出会い、色んなことを学びました。
凄いなと思う人にもたくさん会ったし、ご諡号を頂いたこともあります。
様々な挑戦の中で、2019年末に参加したビジネスコンテストで大賞を頂きました。
何かを成し遂げたわけではありませんが、そうした経験中から公演や、創業スクールのアドバイザーなどのご依頼を頂くことも増えました。
まだまだ勉強中の私に対して、期待をしてくださる周辺環境ができてきたことには驚きましたし、最初は戸惑いもしました。
ですが、その声の一つ一つに応えていくことで、もっともっと自分の成長に繋がることと信じて、基本お断りをせずにお受けするようにしています。
誰かに教えられること、与えられるモノなどないのかもしれませんが、少しずつ変わっていく自分たちの栄養として、挑戦をやめないことが大事なんだと思っています。
・僕の夢は都会のビルの中では叶えられない
都会ではできないと言いたいわけではありません。
田舎から、地域からでもできることを証明したいということです。
それを実現することで、同じように悩んでる人たちのモデルケースになることだってできるはずです。
自分たちはここにいる。
ここからでも生み出せるし、発信もできる。
生まれたところや環境でのビハインドも劣等感も関係なく・・・という時点で、一番気にしているのは自分自身なのかもしれませんが・・・いや、そうなのかもしれません。
それでも、本気でできると思っているし、ここからやりたいと思っています。
僕がここで生まれた意味。
ここだから出来ること。
自分たちなりのカッコイイを作って、それが誰かに響いて、僕たちの生きがいにする。
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