シルク織物職人。最後の言葉。
- 山梨県にあるシルク織物の職人さんのお話をします。ご縁をいただいたのは10年以上前の話になりますが、当時、私たち無名の縫製工場が「ブランドを作るんだ」と言った時。まわりからは、無理だとか、できるわけないと笑われバカにされました。でも、この職人さんだけは笑わず、先行きもわからない無名のブランドに協力してくださいました。今日の私たちSHAKUNONEがあるのは、シルク織物のプロフェッショナルであるこの職人さんのおかげだと言ってもいいすぎではありません。
しかし、本日(2022/9/30)を最後に、工場を閉鎖されます。
「時間はかかるかもしれないけれど、必ず日本一のブランドを作ります。その時は忙しく作ってもらわないといけないし、一緒に喜びましょう」と約束をしましたが、その約束を果たせなかったことが何より悔しいし、情けないし、申し訳ないキモチでいっぱいです。
今回、Twitterにて職人さんの「最後の言葉」を発信することにしました。
その経緯は、上記のような関係性があったことと、この想いを職人さん自らがfacebookに投稿されていたことがキッカケです。正直、書き殴った文章に心を打たれました。すぐに電話し「この言葉は絶対に世の中に届けないといけません!」と伝えました。
許可をいただき、さらに電話で会話しながら、本人からの溢れる想いと情報を整理して、発信をさせていただきました。
結果的にたくさんの方からコメントやリツイートをいただいており、それは職人さんにも伝えています。
このブログは『最後の言葉』に、僕の想いや願いを込めて書き殴っていきます。多少読みにくい箇所もあるかもしれませんが、ご容赦ください。
職人。最後の言葉。
あらためて、職人さんの最後の言葉を紹介します。
全文↓↓↓
工場を閉鎖するいよいよその時がきた。 職人になって構えて30年。大半が「命を削る」ような日々だった。ここ数年は家に帰ることが恐ろしかたった。 そのくらい 「何かしなきゃ・・・」 と何かに追われていた。生き残りをかけて設備を整え、 多品種小ロットの生産を可能にした。 これは自分の夢でもあったし、全てを賭けてもやりとげたかったし、 それが実現できる環境だった。しかし、時代は変わった。 クールビズ。リーマンショック。 そして、 当時のメインのクライアントのお家騒動。立て続けに信じられないような事態に直面。 それに加え、まとまった生産ロットのある仕事はコストの安い中国製に変わっていった。 さらに、追い打ちをかけるように物価の高騰。 思い返せば、 平成7年に最初の工場の増築と織機の導入から今まで、 投資額は3億を超えている。顧客の新規開拓。 納品の単価を上げる交渉。 人件費を削る。とにかくできることは何でもした。 ゼロから銀行との話し合いを何度も重ね、 経営計画のや返済計画も立て直した。それでも国金の返済利息の支払いを怠り、 気が付いたら支店から 「回収専門部署」に回された。払いたいのに、払うためのお金が無い。 悔しく、情けなかった。頭の中の半分は「いかに借金を返済をするか」だけだった。それでも自分の生命保険と、 残された工場を処分すれば何とか家族だけは守れると真剣に思っていた。自分の生命保険どころか、 子供たちの学資保険も解約しちゃってたし。私が死んで残せるのは香典くらい。たぶん「最悪の終わり方」 を覚悟していたのかもしれない。書き出せば終わらない。 あっという間の時間だったし、必死過ぎて記憶もあいまいな部分があるがこの工場で1人 「終わらせる」 ことばかりを考えていた。人で何とかしようと、工場のスタッフを解雇し、 途方に暮れてからの方が時間が長くなったころ。急に舞い込んできたスポットの仕事の対応に困った。力を貸してくれたのは、むかし私自身が解雇した元工場長。久しぶりに2人きりで夜中まで工場を回したんだよな。あの時はまた頑張れるかもしれないと希望を抱いていたが、 それ以上に糸値が高騰した。さらに息の根を止めるようにやってきたコロナ。最終的に心が折れた。 働く理由がまるで分らなくなった。
いい商品を作ることが何よりの正義だと証明したかった職人人生。すべては自分の判断や決断の結果で自業自得だ。 変化に対応できず時代に淘汰されだけだ。そう言われればそれまでのこと。 ぐうの音も出ないし、 そのとおりだと思う。工場を畳むという、 死ぬよりも辛い決断をしている職人たちがいる。私と同じか、それ以上にもがいてる人たちがいる。 まだまだ日本には1度失うと2度と取り戻せない技術や、繋いでいくべきクリエイティブがある。 無念の想いで諦めていく人たちもいるけれど、その人たちが努力をしていなかったのかと言うと絶対にそんなことはない。きっと不器用ながらに血のションベンがでるような努力をしてきた人たちもいたはずだ。会社が廃業するとか、 倒産するなど、苦しい中でもどこか他人事のように感じていたのかもしれない。でも、 自分事になって初めてて気づいた。こうやって多くの日本のモノづくりは失われていくのだ。だから、これでもかと精一杯の力で戦ってる人たちに、 私は簡単に努力不足だとは言いたくない。もし業界の一部の人間の気分や、無茶な買い叩きで失われるクリエイティブがあるのなら、それは絶対にあってはってはいけない。まあ、偏屈で小難しい俺だけど、 それでも、 ここまで仕事を続けてこられたのは、たぶんこの仕事が好きだったことと、仕入れ先さんや顧客に恵まれていたことが大きい。よく考えてみれば幸せなことだ。特に最後の最後だと覚悟したこの1年は自分のカッコイイと感じるデザインが広告に採用されたり、旧縁の仲間たちから励ましの声をもらえたり。 クリエイターとして嬉しいことが多かった。でも、金がないと続けられない現実。理不尽な値下げを要求されたり、 急にハシゴを外されて怒りに震えるような時もあった。反省なんて数えきれないほどあるし、 いまだに許せないようなことだって山ほどある。それでも後悔など微塵もないから不思議なものだ。ここまで色々な方々が応援してくれたし、自分が目指したもの、 見た夢は正しかったと思っている。最後はそれだけで十分。どうもありがとう。
職人さん自身も書いておられますが、命を削るような日々だったのだろうと思いますし、結果的に廃業の決断をせざるを得なかったとしても、それまでに努力をしてなかったから今の結果なのかと言うのは絶対に違うと思うんです。
職人にとって、死ぬよりもツラい選択もある
命をかけた職人の最後の言葉。この文章をどんな想いで綴ったのか。何度読んでも心にくるものがあります。電話で話をしていて、「人生を賭けてやってきた。家族にも迷惑をかけたし、心配は今もされてる。親父から受け継いだ工場をオレの代で閉めることになって申し訳ないし、プライドとうに捨てたけど、ハッキリ言って職人として生きてきたオレにとっては、ある意味死ぬよりもツラい決断だったかもしれない」とおっしゃられた時、僕は震えました。
1度失うと2度と取り戻せないのに
正直、すこし悲しい話なのかもしれませんが、これはビジネスの話です。キレイごとだけでは何も解決しません。ただ、人知れず消えていく町工場が山ほどあって、そこに関わっている人たちが必死に戦っていることは知ってほしいのです。だから、他人事と思わず1人でも多くの人に読んでほしいと思っています。この職人さんが必死にやっていたことは知っています。ただ、やはり下請けのお仕事が中心になり、依存体質になってしまうと相手の言いなりになってしまうことがあります。私たちも創業から50年以上下請けの仕事を中心にやっており、良くしてくださるお客様がいてくださる一方、見下して理不尽を押しつけ、時には足をひっぱるような方がいらっしゃるのも事実なんです。
やはり、閉鎖的な業界で、有力なだれかの気分や嫉み1つで消されていくクリエイティブや技術があってはいけないと強くおもいます。
なぜ、これを伝えなければいけないのか?なぜ、知ってほしいのか?
私がブランドを作ったのは、1つはお客様に喜んでいただけるモノづくりをとおして、自社の成長や雇用の継続をしていきたいという思いからです。それともう1つは、元々は無名だった私たちの成長をとおして「きっとできる」という可能性を魅せることだと思っているのです。それができれば、全国の悩んでいる職人さんたちの背中を押すことができると考えたからです。そのために、毎日SNSでの発信をしたり、積極的にオフラインの交流をしたり、当然モノヅクリについても追及しています。
キレイごとは抜きにして、こうした現状を現場の力だけでは変えられないと思っています。これは諦めて投げ出しているわけではなく、あくまで小さな力では大きな岩は動かないという話です。だからこそ、こうしてtwitterやブログを使って現場の状況を発信して、まず1人でも多くの方に知っていただくことをしています。ハッキリ言って大変です。めちゃくちゃ時間も使います。ですが、これをできる人間は結局のところ現場の当事者だけだと思いますし、今まわりを見渡した時に、自分しかいないのでは?と考えているんです。
小さな力で岩は動かない。だから、まずはこういった現実があることを知っていただき、そして何かできそうなことがあれば是非お願いしたいのです。例えばSNSのイイネ1つにしても、フォローにしてもそうです。もう、この生地屋さんは復活できないかもしれません。ただ、こうした発信が奇跡すらも起こす可能性は0ではないと、かすかな希望は抱いています。
それができるのは僕しかいないのかな…と。
やはり時代が変わるならルールを変えないといけない。ルールが変わるなら、仕組みもやり方も変えていかないといけない。時には本来持っていた意味からかえていかないといけないのかもしれません。こうした内容を発信すると、一定数「職人は機械にとって替わられる」「淘汰は資本主義だ」と言われるのですが、それは十分にわかっています。それでも、まだまだ機械に頼れない仕事が現場にはたくさんあります。機械に頼るようになる前に、人の手がなくなって実現できるものもできなくなるのです。そういった現実も踏まえて、1人の職人として、1人の社長として、発信をさせていただきました。
これが今回、私発信をした経緯と、想いです。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
株式会社笏本縫製
代表取締役 笏本達宏
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自己紹介をすこしだけ
僕は岡山県の縫製工場の三代目として働いています。実は「私の代で潰すから」と母から言われた縫製工場でしたが、継ぐ決意をしました。子どもたちには背負わせたくないという親心もあったと思います。だけど、戦ってきた母親の姿をみてきたからこそ、想いごと継ぎたいと思ったんです。2015年には夢だったブランドを立ち上げ、「いつか総理大臣に結んでもらえたらいいね」と話していました。途中では苦しいこともたくさんありましたしが、ただ、毎日コツコツと取り組んできたことで、つい先日総理大臣にネクタイを結んでもらうことができました。
諦めなければ夢が叶うわけではないかもしれませんが、諦めなかった人だけが夢を叶えるんだと思います。
熱い思いをもって仕事をしていますが、悩んだり、不安になったり、自信を失ったりすることもあります。ですが、私たちの積み重ねを感じてくれたり、支えてくださる方々がいることで、前に進んでいけます。何者でもない自分たちの出会いや挑戦が誰かに届き、ほんの少しでも何か変わればいいなと思います。すこしだけでいいので、僕たちのことも知ってもらえると嬉しいです。
JAPANネクタイブランド | SHAKUNONE(しゃくのね)
小さな縫製工場から産声を上げたネクタイ専門のファクトリーブランド【SHAKUNONE(しゃくのね)】
国産のシルク生地を使用し、職人のハンドメイドにこだわり一本一本丁寧にお仕立てしております。
ブランド | SHAKUNONE'(シャクノネ) |
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FACTORY |
〒709-4623 岡山県津山市桑下1333-6 |
営業時間 |
10:00~17:00 定休日:土・日・祝 |
マネージャー | 笏本達宏(シャクモトタツヒロ) |
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オンラインショップ | https://shakumoto.co.jp/shakunone-shop/ |
コーポレートサイト | https://shakumoto.co.jp/ |